カプッチーニ・コンヴェントのテラスから Carlo Brogi (1850-1925) - "Contorni di Napoli - Amalfi - Panorama dalla terrazza del convento dei cappuccini". Numero di catalogo: 10339 (public domain)

アマルフィの歴史  /  Storia di Amalfi


 静かな地中海を見つめまどろむような、美しいアマルフィの街には、
 幾多の稀有な歴史と栄光、盛衰が織り込まれ、積み重ねられてきている。

アマルフィの街の起こり (4〜8世紀)


アマルフィという地名は、街の開祖たちがメンフィと呼ばれる土地を通ってやってきたことに由来する。 西暦337年ローマ皇帝コンスタンティヌス大帝が崩御した後、コンスタンティノープルを目指したローマ貴族がこの地に ながれつき、現在のスカーラからやがて海沿いのアマルフィへと移り住んで街を起こした。

海洋共和国アマルフィの独立と繁栄 (9〜11世紀)


当初、アマルフィはべネヴェントやサレルノを拠点とするランゴバルト族(Longobardo)との紛争がたえず、 一時は街が陥落することもあったが、839年9月1日共和国アマルフィとして独立を宣言する。 土地の有力な貴族から毎年選出される総督、ドージェのもと優れた造船・航海の技術と商才を背景にして、 地中海を中心とした貿易で多大な利益をあげた共和国は繁栄し、最盛期にはチェターラからポジターノ、 カプリ島、内陸部はナポリに近いグラニャーノまでを統治下においていた。

都市アマルフィの栄華と壊滅 (11〜14世紀)


共和国アマルフィの独立自治の時代は短かった。度重なる外敵の侵攻、1079年にはサレルノの制圧を受け、 1075年にはノルマン人ロベルトの統治下に置かれ、共和国の歴史を閉じる。 その後シチリア王国への従属、1135,1137両年のピサの侵攻・略奪を受けながらも、都市アマルフィは 市街と建築の再構築、航海技術や貿易、商習慣の整備を行い、フラヴィオ・ジョイアによる羅針盤を用いた航海法や 最古の海事法典であるアマルフィ海法などを生みだしている。14世紀に入り南イタリアの覇権争い、 ペストの流行などにより疲弊していた都市アマルフィは、1343年の大嵐による地すべりで港湾設備の大部分が 海中に没し、都市機能が壊滅する大打撃を受ける。

冬の時代とリゾート・アマルフィの再興


封権制下のアマルフィには、以降も海賊の襲来やペストの流行など度重なる打撃を受けた。 18世紀には人気のない廃墟同然にまで荒廃してしまっていた。 19世紀にナポレオンの命により、ナポリからの道路が整備され、製紙工業などの復興が見られた。 20世紀に入り、芸術家や文化人によりその景観の美しさが世界に伝えられた後、映画監督や俳優たちが集まる 南イタリア有数のリゾートとして注目され、1997年には沿岸がユネスコ世界遺産に認定された。