スカーラからラヴェッロを望む

ラヴェッロの歴史  /  Storia di Ravello


 ラヴェッロは、ローマ帝国の後、現代に続く沿岸諸都市の発祥に近いエリアにあり、
 アマルフィに似ながらも異なる独自の歴史的な経緯をたどってきた。

ローマ貴族の漂着 (4〜6世紀)


西暦337年ローマ皇帝コンスタンティヌス大帝が崩御した後、コンスタンティノープルを目指したローマ貴族が この地にたどりついた。当初、現在のスカーラ周辺に集落をつくり、農耕を中心として生活していたが、 500年頃、現在のラヴェッロの場所に街の原型がつくられた。

アマルフィの統治と離反 (11世紀)


やがて人々は、外敵に対して安全な山から、海へと開けた現在のアマルフィへと移り住みはじめ、 共和国として独立を果たす。ラヴェッロは1081年にその統治下に置かれるが、独自の政治方針などを 貫いたために紛争が続き、1086年には主教管区としてアマルフィの統治を離れる。このときの経緯を指す レヴェッロ(反逆者)という語が街の名の由来となったとする説がある。

富めるラヴェッロの栄華 (12〜13世紀)


航海術と商才に長けたラヴェッロの人々は、地中海交易から莫大な富を得るようになり、街も繁栄した。 建築、装飾や、美術、絵画の作品が豊かに蓄積され、最盛期には4万人近い人口を数えたとされる。 ヴィラ・ルーフォロなどの豪奢な貴族の邸宅や多くの教会や修道院などがこの時期に建てられている。

芸術と音楽の街の脚光と再生 (19世紀〜)


13世紀末には、染料産業が独占的な発展を見せたが、以降海賊の侵攻や地震、ペストなどの影響で 街は荒廃し、主教管区は17世紀にスカーラ、19世紀はじめにアマルフィに戻された。この頃から 街の景観と建築、芸術、文化の豊かさに魅了された芸術家たちが来訪し、1880年にはワーグナーが ヴィラ・ルーフォロで代表作パルジファルの構想を得、1938年にはグレタ・ガルボがヴィラ・チンブローネに 滞在している。現在は夏の祭典、ラヴェッロ・フェスティヴァルを中心に”音楽の街”として 世界からの観光客を迎えている。